ずっと無茶祭2「孤展」の振り返りをしようと思いながら、結局大晦日。
あーあ。
仕方がないので、無茶についいて、あと今年のことについていくつか記載します。
お時間あったら眺めていただければ幸いです。
むしろ、以下の文章、長めなので、そっちだけでも、よかったらどうぞ。
無茶祭2「孤展」について。
さて、「孤展」について書こうと思っているわけですが、
不思議なもので、、「孤展」が終わって2日後ぐらいには
「あれ?俺、本当にそんなことやったんだっけ?」みたいな感覚になっていました。
孤展が終わり帰宅したその日の内に、アトリエ化した四畳半を2時間ぐらいかけて全て整理して、跡形もなく日常に戻したので、尚更そう感じたのかも知れません。
(場所を変えないことには終わった気になれないと思ったので、是が非でもその日の内に全部片ずけました。
それ、本当に僕が体験したのかなあ?みたいな感覚です。
演劇と違って、それでも、「絵」は形あるものとして確かにまだ我が家にあるので、きっと本当にあったことなのでしょう。
5日間で110名以上の方にご来場いただけました!!
ありがとうございました!!!!!!!
演劇の時のような個別のご案内をお送りする余裕もそこまでなかったので、SNS中心の告知でこれだけ多くの方に御覧いただけてしあわせです。僕はしあわせものです。
また、24枚の絵の内20枚ご購入いただけました。
(まだ、描けてない予約絵3点含む)
ぎゃああああ!!!!!!!!!
絵が売れるってとっても嬉しいことですね。
おかげさまで、入場料0円の無茶祭2でしたが、無事赤字を抱えずに終えることができました。こういうことをわざわざ書く必要もないかとも思うんですが、でも大事なことだと思うんです。ちゃんと黒字で終えるということは。あらゆるモノ作りは、赤字が続くだけで継続が物理的にも精神的にも難しくなってしまいますから。
心身ともに無茶を続けて借金を重ねるって、絶対に疲弊しますからね。
こうして次の一歩が踏み込みやすいような形で無茶祭2を終えることができたこと、多くの方に感謝しております。
無茶1に引き続き、多くの方が手伝ってくれました。
この場を借りて、無茶フレンドの皆様をご紹介させてくださいませ。
◎保坂萌:メインビジュアル撮影/搬入/モデル
◎三國谷花:制作業務全般/備品全般/というか僕にできないことのほとんど
◎常盤美紀:搬入運転
◎黒澤世莉:バラシ/搬出運転
◎笹野鈴々音:バラシ/モデル
◎多田香織:モデル
◎奥野亮子:モデル
◎ハマカワフミエ:モデル(現場)
◎酒巻誉洋:バラシ
◎手塚優:バラシ
特に、保坂と花ちゃん。
無茶1からお世話になっている2人には今回もお世話になりっぱなし。
今年の春、「絵を描こう」と思い立ち、鉄は熱い内にと、すぐ保坂に連絡し、スタジオを全面養生してのメインビジュアル撮影が行われました。この撮影を早々に行っていなければ、今頃「孤展」は実現していなかったかもしれません。無茶のはじまりはいつも保坂からと言っても過言ではありません。後に引けない最高の一枚が企画の最初に生まれちゃうわけですから。こんな無茶を楽しんでくれて、「来年もやろうぜ!」と言ってくれる。こうなると来年も何かしそうな予感がするぜ。
花ちゃんは、僕のルーズな部分を全部引き受けてくれて、僕がやりたいことに専念できるよう、「何かをつくる」作業以外のすべてを先回りして準備してくれました。今回のギャラリーも、僕がいつまでも重い腰をあげようとしないので、花ちゃんがネットでたくさんのギャラリーをリストアップしてくれて、その中から僕が選びました。つまり、花ちゃんがいなければギャラリーフィルモで開催することはきっとなかったし、なんなら花ちゃんがいなければ、ほとんど何にも成立していなかったんじゃないか、と心から思います。作品のタイトルなどが書いてあるキャプションだって、なんと花ちゃんの手作りです!(あれかわいかったなあ)
心強い無茶仲間に花束を。
(尚、搬入から展示の際、僕がどう展示したらいいのかわからずマゴマゴしていたため、二人が強い団結感の元、どんどん僕へのあたりをキツくし、なんとか無事定時でオープンできた時には僕はすっかりシュンとして干物みたいになっていたことも、今となってはいい思い出です。もっとも、2人がいなければ間違いなくオープンは3時間ぐらいおしていたでしょう。/次からはもっと準備しよう。我が儘を通していこう。あるいは、もっと思い切り頼ろう。半端に「自分でやらなきゃ」って責任感が邪魔だったなと思う。)
忙しい中、ドライバーをしてくれた常盤さん。急遽、バラシからドライバーを引き受けてくれた世莉さん。その時その場にいたという理由だけで、当たり前みたいにバラシを手伝ってくれたりりー、まっきー、てづー。本当にありがとうございました。
そして、快く肖像画のモデルを引き受けてくれた、(これまた)りり、亮子ちゃん、多田ちゃん、(これまた)保坂、ハマちゃん、どうもありがとう。
※今回は時間の問題もあり、ハマちゃん以外は写真を元に絵を描きました。
無茶祭をする度に、どれだけ多くの方に支えられて自分が生きているか再認識します。
心から感謝するとともに、感謝してもしてもしきれないので、僕がより一層ハッピーになってやろうと思います。こんなハッピーなことってなかなかない、そんな時は、恐縮してもらったハッピーを目減りさせるのではなく、いただいた分全部ちゃんと受け取って、きちんとハッピーになってやろう。コップから溢れるぐらいのハッピーが、また誰かをハッピーにしますように。
花ちゃんへのお礼の一枚
(時間が足りない!保坂へのプレゼントは2020年に描きます。ほんの気持ち。)
絵を描いてみて
3週間で絵を描くという企画。しかも油絵の具について調べて買うところから含めて。
あらためて無茶だったなあと思います。
しかし、僕がどれだけ絵の具に慣れていないか、どれだけ絵を描くことに対して(ある意味)素人であるかは、観にくる方にとっては関係ありません。けれど同時に、今回の企画はあくまでも「役者による絵画個展」でした。完成された作品を見ていただくこととかなり近い比重で、プロセス自体を楽しんでもらおうとしているというか、作品に取り組む藤尾勘太郎自体を楽しんでもらおうとしているというか。気付けばそういうプロデュースの仕方をしていました。それは、今回観に来てくれた人に言われて、ああそうだなと思ったこと。
僕は場を作ることが好きなんだろうなと思いました。
自分が作った場を、なんとなく心地よく思ってもらい、楽しんでもらう。そんなことに喜びを覚えるのだろうな、そんなことに気付きました。
今回、作品のひとつひとつはそこまで明るいものは多くなかった気がします。
もっとユーモアたくさんな絵や、希望にあふれた絵を描きたいなとも心のどこかでは思っていても、「今描ける」ものがどうにもそうではなかったため、どうしようもなく、ひたすらに「今描ける」ものだけ掘り進むようにして描きました。
全体的に辛気臭い展示になったらどうしようとなんども思いました。
しかし展示内容全体の統一感を考える余裕なんてこれっぽっちもなかったので、もう目の前の白い板と一枚一枚格闘するのが精一杯でした。
ところがどうも、蓋を開けてみれば以外と、随分と明るい空間が生まれた気がします。それは、ギャラリーフィルモという空間のなせる技も大いにあると思いますが、以外と僕自身が「こういう空間にしたい」とか、来てくれた人に「こういう空気を吸ってほしい」とか薄っすら思っていたことが反映されているのかな?とも、後から思いました。
自分の望んでいたものに、作り終えてから、観てもらってから気付く。
そんなことが多かった気がします。
僕は、ぼんやりと「ワクワクさんになりたい」とずっと思っています。
あのNHKの人気番組「つくってあそぼ」のメガネのおじさん、ワクワクさんです。
ワクワクさんの生涯がどんなものかは分かりませんが、工作することの、実験することのワクワクってドキドキって、好きなんですよ。
「あいつが企画することはなんだか人をワクワクさせるぜ」
なーんか、自分で企画するならそんなことをしたい訳です。
それは場づくりにおいてもそうで、そういう意味ではやっぱり、「孤展」の絵を観に来てもらう、絵を楽しんでもらうことと同時に、その場自体を喜んでもらいたい、そんな思いがあったのだと思います。特別ギャラリーに凝った仕掛けをした訳でもないですが、なんとなーくなぜだか空間に「僕くささ」「藤尾くささ」が漂ったような気がしました。(まあ、当たり前のことなのかな)
いずれにせよ、空間に長居してくれる方がたくさんいたことは、とても嬉しかったのです。
※いつか、演劇や展示ができる空間を僕がもてたら素敵だなあと考えたりもします。
そこには銭湯もあって、カフェもあって、あと、その建物の上の方には何世帯かが住んでいて、子育てを手伝いあうの。そこに住んでない人も「託児所」ってほどじゃないけど、みんなで子供を育てあう場で、ワンオペの負担が少しでも楽になったり。あ、小さくても稽古ができるスペースもあって。そういうものを誰かと共同経営するのも楽しそうだ。なぜなら僕は「場」を提供することが好きだから。僕は多分、強いリーダーシップで人を率いていくタイプではないし、全然計算高くない。だから、僕はこれいいな、あれいいなとワクワクする担当。なんだか楽しそうじゃありません??
閑話休題。
絵の話をするつもりだったのだけれど、全然絵の話をしていない。
正直、なんだかそこまでする気にならない。
ひとつ、描いたことによる発見を。
僕はこの「孤展」で絵を描くことによって、
役者がやりたくなった。
とてもいい意味で、踏ん切りがついた気がする。
昨年犬と串を離れ、フリーになり、今年の頭は自分の将来の身の振り方についてずっと考えていた。役者をこのまま続けるのか、それとも違う生き方だってできる。可能性だけならいくらだって広げられる。
どこかにも書いたが「絵」がずっと気になっていたのだ。近年特に。
僕の家系は、驚くほど「美術/芸術」に溢れている。
その影響で幼い頃はずっと漫画を描いていたし、その漫画のカードケームを作って、友達と遊んだり、ぼんやり「漫画家になるのかなあ」とか考えていた。これは完全にささやかな自慢だけれど、小学生の時の自画像デッサンで図工の先生に「君は天才じゃないか」と言われたことを未だに覚えている。
けれど、演劇と出会ってすっかり「絵」とは離れた。だから、がっぷり「絵」に向き合うこともないまま、学ぶこともないまま今に至る。美術部に入ったこともなければ、むろん美大出身でもない。
それが、ひょんなことからデザインをやることになり早8年。
視覚的なものに対しての興味が、やっぱり強いのだなということを否が応でも再認識することになる。
「芸術に関わる」家に生まれると、(これも以前書いた気がするけれど)幼い頃は特に被差別的な心地がすることが多くあり、30代になるまでは、「なにが芸術じゃ」とどこかで思っていた。けれど、なんだかんだ好きなのだ。そういうことがなんとなく分かってきた。
僕自身が「絵」に関わる生涯について思いを馳せることが増える。もしかしたら「絵」と深く関わり続ける人生もあるのではないかとか、そんなことを。
正直、そんな思いを密かに抱いての「孤展」であった。
終わってから自分がどんな心境になっているのか分からない、創作の過程で何を感じるのか分からない。それでいいし、それがいい。
終わってみると、僕は、役者をやりたいなあと思っていた。
そして、絵は今後も描きたいなあとも思っている。
しかし、絵を生業にしなくていい。絵は僕にとって完全に「遊び」でいい。絵描きにならくていい。でも、きっと今までより僕はもっと絵を描くのだろう。けれど、画家ではなくていい。「絵を描くこと」がしっかり僕の人生の中のあるべき場所に収まり、これまでよりもきっと描くのに、僕は役者だという思いが強くなった。というかまあ、「絵」の居場所がはっきりしたことによって、僕の中の「役者」の居場所がはっきりしたのだと思う。
ある意味で、通過儀礼でもあった訳だ。
「絵を描くこと」によってはじめて、僕の中での「絵」の居場所が決まった。描かない限り「絵」は僕にとって想像上の触れたことのない何かとして、僕の生涯にフワフラと漂い続けたのだろうと思う。今は割と輪郭のある何かとして、僕の中のどこかに座っている。フワフワしていた時よりも、むしろ今後よく会うであろう友人として。
そんなわけで、きっと絵の「孤展」はまたやるのだろうと思う。
僕が散々売ったらいいのにと言われても、不思議と手放そうとしなかった「うらにわのあそび」シリーズが365枚ぐらい溜まったら、個展をまたするのもいい。油絵を引き続きやってみるのもいい。あとは、銅版画がなんだか気になっているので、いつかやるかもしれない。
そんな訳で、僕の「絵」とも、みなさま末長くお付き合いしていただければ幸いです。
(なぜか敬語じゃなくなってましたね)
とりいそぎ、「孤展」期間中に描く予定で描けなかった「天使シリーズ」3作品、保坂へのプレゼント、描きます。あと、なんと嬉しいことに肖像画のご依頼もいただいたので、それももしかしたら描きます。
はい。そんな訳で、無茶の振り返りはこんなところで。
ひとつひとつの絵について、語れることはたくさんあるんですが、僕の中で、語りたい旬を逃してしまったので、うーん。もし興味あったら直接聞いておくんなまし!!
2019
最後に、まあ、今年も終わりますから、
少しだけ。
今年は舞台4本、デザイン約30〜40本やりました。映像は何件ぐらいだろう3件ぐらいかな。事務所にも入っていないフリーですがご縁でいくつかお仕事できたことは嬉しい限りです。
4本の舞台はどれも僕にとって思い入れ深い作品になりました。
参加できて光栄です。ありがとうございました。
観てくださったお客様ありがとうございました。
山羊座は来年大変らしいです。
僕体感としてはすでに新年です。
とりあえず僕は2020年上半期3作品駆け抜けます。
ご期待いただければ幸いです。
そんな訳で、来年も役者でありながら、デザインもし、絵も描いたりたまにワクワクすることをするヒトでありたいと思います。
最近なりたいものは
やさしい獣
です。
おしゃあああ!!!!!
やさしい獣にもっと役者の仕事をおくんなまし!!!!
2019年お世話になりました。
2020年もどうぞ、皆様にハッピーが降り注ぎますように。