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執筆者の写真ふじおかんたろう

井戸とプールの日々


長らくブログを書いていなかった。

忙しすぎたのだ。というか、今も変わらずにそんな状況。

演劇とデザインとデザインと演劇とデザインとデザインとデザインとデザイン。

そんな感じ。

演劇の稽古が本格化する前に、デザイン作業を終わらせる。

息抜きにDVDをたくさん借りては、観ずに返している。

↑これはほとんど趣味の領域。

とてもありがたいことではあります。

本当に。ただ、「お仕事たくさんあって嬉しいな」ってことを言いたいというよりかは、忙しさに心をなくさない為の息抜きとして、書いてます。

必死といえば必死。全然息抜きできないけどたまに息抜き。

曲がりきれるかわからない仕事量をこなす時は息抜きが不可欠。

今朝は「コジコジ」の動画を起きてしばらく見ていた。

たまに、デザインって愛情がなくてもできるものと思っている方がいらっしゃるけど、そんなことは決してない。少なくとも僕の場合は。

これまで独学でデザインをやってきて、今後円滑に仕事をするために思ったことが溜まってきたので、いずれそれはここに書きます。

役者もデザインも取り組むには愛情を持って、ある程度潜らないといけない。

だから、ひとつの仕事に取り掛かったらとにかく一気に登れるだけ登ってしまう。鉄は熱いうちに打て。小鉢をつまむように潜っても、かえって混乱する。

デザインの仕事は「井戸に潜る」ようなもの。

役者の仕事は「プールを泳ぎ、潜る」ようなもの。

ふとそう思った。

いずれにせよ、水に頭まで浸からないといけないけれど、体は一つしかない。

すぐに他の井戸に入ってもいいけれど、ちょっとは体を拭いてから入らないと、次の井戸水の質感がらからなくなってしまう。そんな感じ。

井戸の場合、作業中は自分一人入れる大きさがあればいいけれど、演劇はひとりじゃない。

だからプール。

演劇は「海」とか言ってみたい気もするけれど、ちょっと大きすぎる。自由すぎる。

劇作家にとっては「海」なのかな。どうなのだろう。

喩えで書いた絵を載せたくてブログを書きました。

われながら嫌いじゃない喩え。

自分の中のインスピレーションの井戸だけから何かを作るって、苦しくなったりするけれど、人様の井戸を借りると勝手に水が循環する感じ。それは役者やデザインという厳密には0を1にする仕事じゃないからかな。でも、劇作家も世界からの刺激があって、何かを作るんだよね。芸術家すべからく。どうなんだろう。

また書きます。

美意識を大切に、調子に乗って生きていたいです。

あと、去年かなあ、「演劇とデザインで生計を立てる!!」

と宣言したら、とりあえず叶っているのでそろそろ神様に次のお願い事を書きます。

それもまたいずれ。

7月のチャーリー・ブラウン、どうぞお楽しみに!!

(そのあたりの意気込みは近々書きます。長くなりそうなので!)


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