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執筆者の写真ふじおかんたろう

ムンク展へ行ってきた


年明けから、労働もせずに家で映画ばかり観ている。

今は次の稽古もなければ撮影などもない。今月中に(あるいは中旬までに)仕上げるべきデザインの仕事もあるけれど、のんびり手をつけている。

時間がありすぎると、かえって持て余す。

未だに籍が残っているバイトでもすれば気分転換になるとは思うけれど、なんとなく今は違う気がするので、していない。

映画、あるいは、本を読んだりしている。

自分が何を求めていて、そのために何をするのか。

「勉強」ってなんだろう、「成長」ってなんだろうと思う。退屈さを埋めるために自分のスケジュール帳を黒く塗り潰ことを危惧している。

 

先日、「ムンク展」へ。

美術館という場所が好きだ。

作品を通して、その人と触れ合う。自分と触れ合う。ただそれだけの時間。

短い時間では、彼の孤独のほんのわずかしか知り得ない。でも、それはほんのわずかでも、僕にとって自分の中の奥の方にある水脈を見つけ、触れる時間だ。

僕の中を流れる地下水脈のさらに奥、そのさらに奥の曲がりくねって幾重にも水路が合流しあったそのまた奥の、もうひとつ奥の奥の方でムンクの水脈が流れていて、あまりにも遠いけれど、それでも水脈は繋がっている感覚。

90年代の作品群が一番ヒリヒリして好き。なんて僕は他人だから言えてしまう。

産み落とされる芸術の鮮度が、苦しみや絶望、不安や孤独の鮮度と比例するのかと思うとなんとも言えない気持ちになる。もっとも、芸術はその救済でもあり得るし、救済であるはずの芸術に人生をまるごと食べられちゃうみたいなことも起こるのだと思う。

世界中が美術館だったらいいのにと思う。

美術館が日本に存在することを嬉しく思う。

日本ではムンクは大人気だそうで、多くの観覧者で会場は溢れていた。

でも人気があるってどういうことなんだろうと思う。

何をもってムンクは人気なんだろうと。

確かに、幼い頃から「叫び」の絵はなんとなくみんな知っている気がするし、あの絵に描かれた人のポーズの真似もしたことがある。何をもって人気なのだろう。

 

実家に帰って、父とすこし言葉についての話になったこと、

たまたま最近、内田樹さんの「街場の文体論」を読んだこともあってか、今は言葉をもっと勉強したいと思う。言葉を知ること、考え方を知ることは、他者を知ることだし、自分を変えることでもある。

この、ブログというフリーダムな場所で、一体誰に向けて言葉を届けているのか、自分でもよくわからない。それでも、今年は言葉を増やしていきたい。のんびりと。また、SNSからできるだけ離れていくことを考えているので、せめてこういう場で言葉を書いていきたいという思いがある。

言葉と出会うことも、美術館で絵と出会うことも、はたまた映画やお芝居も「出会う」という意味では本質的には同じじゃないかと思う。そんなことを思って、冬空の上野公園を歩き、電車に乗りTwitterを開くと、あっちもこっちも喧嘩したり、溝を深めたりしている。誰かが誰かを罵ったり、誰かが悲鳴をあげたり、知らない人が「そうだ!そうだ!」と同調したりする。

さっき観た映画「レディ・バード」で

「愛すること」と「注意深く見ること」は同じじゃないか

というような台詞が出てきた。なんだかハッとしたのを覚えている。

こんなにたくさんの素晴らしい映画が上映されて、演劇が上演されて、絵画を見ることができて、小説を読むことができて。それとは関係なく、あまりに関係なく、生活がある。そんな感じがする。文化はエンタメ。そうカテゴリーするのが楽だし商売にしやすいのは分かるけど、それだけだろうか。芸術に触れたって、それが家計に影響するわけじゃない、景気が急に良くなるわけじゃない、異性にモテ出すわけでもない。明日も仕事がある。労働がある。苦役がある。哲学よりお金が必要。家族を養わなきゃならない。とてもわかる。(いや、わからない、わかる気がする、わかりたい)

結局、僕個人が、趣向として芸術が好きなだけなんだろうか。

芸術への愛情と嫌悪の間で考えている。

田舎町で、「芸術」が身近にある家に育ったことは、肩身が狭い思いであった。

どこを見渡しても「芸術なんてよくわからないもの」という顔をされるのだから。

仲のよい友達と居ても、どこかでずっと異邦人で、それは、以外と今も変わっていないのかもしれない。その周りからの眼差しは今も変わらず存在するし、けれど「芸術」は切っても切っても金太郎飴みたいに、僕の身体のいろんな所に住んでいる気がする。

ああ、何が書きたいのかよくわからない文章になってしまった。

文章を書くことはこわいこと。ああ、こわい。絵を描くことも、こわいこと。

演技することだって、こわいこと。ああこわい。タバコ吸おう。


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