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執筆者の写真ふじおかんたろう

【稽古場日誌①】お龍→藤田→ボス


本日は、18日13時の回の演目を通した。

本日のゲストは、演劇集団キャラメルボックスの小林春世さん。

今回ミュージカルで、喉のケアを十二分にしないといけない僕に、延々と早口で喋り続け、僕にひたすらツッコミを入れさせるという鬼軍曹ぶりを発揮してくれました。あいかわらず。

しかしやはり人が観てくれると、稽古の実りが大きい。春世氏も、ポップコーンを食べながら、通し中は(9割型静かに)あたたかく見守ってくれました。

お龍さんは、今までのんべんだらりとした演出でやっていたけれど、なるほど、それだけだと厳しいなということがわかった。テイストは変えないけれど、見世物としてひっぱっていく吸引力をどう維持していくか考える。なるべく○○な感じにしたくないんだけれど、そのためには××しないと、○○な空気になり得る。

なお、テイストとしては、僕が犬と串にいたころの身体性の強い作品になりそうです。あと、女性を演じることは、とても楽しいです。

藤田は、正直、ほかの稽古の割りを食って、全然稽古していない、台詞も全然返していない、にもかかわらず、驚くほどの安定感。たまに台詞が、あれ?とはなったけど、この稽古の少なさで、この感じはすごいなと思う。正直、この演目がまたやりたい思いはとてもあったので、大本命であることは、拭えない。どの演目も大本命です!と言うことが僕の使命だけれど、この作品は、またひとつ別の思いがある。再演です。もしまだご覧になってなければ、観ていただきたいです。

ボス。方向性は見えているけれど、今日は作品としてドライブしなかった印象。その前のお龍さん、藤田、とまた俳優としての筋肉の使いどころが違う。だからこそ、やりがいを感じる。藤田と同じ戦い方をするとあっという間に、歩くべき道を見失う。藤田が前に前に歩いていく作品だとしたら、ボスは見えない階段をどんどんのぼっていくような。そんな、別の種類の勇気が必要な気がする。見えない場所に出くわし続ける勇気。自分の想像より先に、世界と出会い続けることは、ひとり芝居のひとつの醍醐味かとも思う。リアリズムで戦うとドツボにハマりそう。

これは18日の13時の回の組み合わせ。なかなかテイストががっつり違って楽しい組み合わせです。画家が連続する組み合わせですが、絵画に対する思い入れの違う(少なくとも作品上は、な)2人なので、そのあたりもお楽しみいただけるかと。

最近考えるのは、僕はこの6作品を通して、何を抽出しようとしているのか。そもそもミュージカルであることや実在した人物であるということ以外まったく一貫性のない短編集なので、何か通底するものを見つける必要は必ずしもないのだけれど、例えば、同じ花を見て、ある画家は希望を描き、ある画家は絶望を塗りこめるような違いがあるとして、はて僕はこの作品群をどう捉えるんだろうというようなことを考える。

もっとも、ひとりの俳優がたくさんの演目を演じるにあたって、単純に作品ごとに毛色が違い、観せ方がまるで違うのは、ひとつの魅力にはなるだろう。

一度考えて、ボツにしたプランは、すべての演目を、「夢」でつなげるというプラン。舞台美術がベットのみで、6人の題材が夢を通して僕とつながる、というプラン。かえって作品の色を殺しかねないと思いボツにした。

最終的に、そういった、トータルの演出は何一つなく、作品ごとの魅力を、僕をつかって伝えていくことになる可能性は大いにあると思いつつ、まだぼんやりそんなことを考え続けている。というか、作品ごとに色を変えて、それを見世物にすることだけで、頭がおかしくなるほどたいへんなんですけれどね。

小林さんは、「あと3週間デショー?全然イケルイケルー!」と相変わらずの早口で言っていました。

小林春世談

お龍→みんなタノシメソー

藤田→かんちゃんにアッテルンダネー

ボス→歌が1番ウマクキコエター(←意外!)


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