どうも。
このサイトを作ったはいいものの、なかなか更新できずに1月も後半に。
全然眠くならないので、こんな時間に更新。
これからは、できるかぎり使っていきたい。
当然、何かしらの告知をこのブログでするこのもあるだろうけれど、僕がここでしたいことは、
僕が、僕の言葉で、僕が話したいことを、書く
ということ。
誰が見ていようと、もしかしたら誰も見てなかろうと、とにかく、誰かに触れられる場所に、僕の言葉を並べてみること。
僕はここ何年か、スマートフォンの「メモ機能」に、何か思いついたり、考えたことを書き込んできた。それは、きっとこれからも同じことをすると思う。
昔は、日記も書いていたが、今はもっぱら「メモ機能」である。おそらく僕には、デジタルな端末を半分軽視しているところがあり、そのことがかえって、僕に気負いなく文章を書かせるのだと思う。「どうせ携帯のメモだから」それは羅列でもいいし、箇条書きでもいいし、3行で終わってもいい。とにかく思いついたまま、言葉がホットなうちにすぐホットなまま書き込める。
ふむ。
ただし、このメモは、あくまでメモであって、なんというか目的は内向的なものである。例えばきっと語り口も。(僕が整理するためだけのものだからね)
そんな言葉をもっと人目に晒したいと思った。
それは僕のために。
言葉をもっと晒したい。
正確には考えていることを。あるいは、僕自身を、晒したい。
それが必要だと思った。
これは去年、いつだったか、そうだ、本番中、劇場まで歩いているときに思ったことだ、
言葉は(本当に)人をあらわす。
言葉はその人だし
言葉をかえると、その人がかわる
そんなことを思った。
言葉への扱い方、届け方、使う言葉。返事の仕方。同じものを見ても、人それぞれ、その体験を伝える言葉は違う。長い文章でその感想を伝える人もいれば、たった一言ですべてを伝えてしまう人もいるだろう。言葉と本人の本音がズレていることもあるだろうし、うまく伝えられない人もいるだろう。
また、言葉の「祝い」や「呪い」の効用も段々と、身をもってわかってきた。
正直今回はそのこと(祝い、呪いについて)を書きたくて、書き始めたんだけど、長くなりそうなので、今回はここまで。
※早く寝なきゃという焦りもあり、かなり文章が欠けていたり、説明が足りない部分もあると思いますが、
皆に読んでもらえるメモだと思って、まずは気軽に書いてみようと思います。
ほなまた。
※あ、写真は、最近プリンタを譲り受けたので、過去一年の「メモ」たちを印刷してみたもの。
藤尾勘太郎